サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 10/11放送分

日常の生活・身の回りの変化

天才浮世絵師・葛飾北斎ミステリーSP

出演者

サンドウィッチマン/芦田愛菜・長澤まさみ・塚地武雅(ドランクドラゴン)・又吉直樹(ピース)  博士ちゃん

世界が認めた天才!

天才浮世絵師・葛飾北斎  “富士山”を描いた作品が数多く残されているが 実は葛飾北斎が描いた浮世絵にミステリーが… その謎に博士ちゃんと長澤まさみ・ドランクドラゴン塚地が迫る!

  さらに… 葛飾北斎にはゴーストライターがいた!?

その正体に迫る超貴重作品を特別公開!! その人物とは…

80歳を超えた北斎が大作を残した町、長野県小布施町 北斎はなぜ江戸から遠く離れた小布施で作品を描いたのか?

私は長野に出張で行った際には『小布施町』は結構地味な場所で町らしい町が無かったように思います。当時も【葛飾北斎】の名は轟いていましたが私は当時は銭湯の富士山を見るとみんな【葛飾北斎】の絵だと思っていました。

そして、北斎の人生最後の作品と言われる 絶筆作品に描かれた“黒い龍”とは… 天才浮世絵師・葛飾北斎が現代に残した謎に迫る博士ちゃん 。


葛飾北斎

日本人ならおそらく誰しも見たことがある「波間の富士」や「赤富士」の浮世絵。あまりに有名なこの2図、いつ、誰が描いたかご存知ですか? 描いたのは、江戸時代に活躍した天才絵師・葛飾北斎。一体どんな人物だったのでしょうか。名作「Great Wave」や「赤富士」を描いた江戸時代の浮世絵師      葛飾北斎(かつしかほくさい・1760-1849)は江戸時代後期に活躍した浮世絵師。現在の東京都墨田区に生まれ、幼い頃から絵を描くことに熱中し、十代の終わりに人気浮世絵師・勝川春章に入門し、絵師となりました。その代表作が「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」という46図におよぶ浮世絵版画のシリーズです。北斎は、圧倒的な画力と奇想天外なアイディアとで、全図各地から眺めたさまざまな富士山の姿を描きました。                  さまざまな富士山の姿を描いた葛飾北斎の代表作「富嶽三十六景」。
葛飾北斎「冨嶽三十六景」より(画面左上から時計回りに)「尾州富士見原」「凱風快晴」「深川万年橋下」「駿州江尻」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

「富嶽三十六景」の中に描かれた富士山は、陽光に山肌を赤く染めた雄壮な姿であったり、雷雲の上に頂を突き出す荘厳な姿であったかと思えば、橋桁のはるか向こうや桶の輪の中からのぞく小さな姿だったりと、多種多様。      中でも「波間の富士」の俗称をもつ「神奈川沖浪裏」は、ダイナミックな構図の中に、大自然の脅威と人間の営み、そして全てを超越する霊峰の姿を見事に描いた傑作として、海外でも”The Great Wave”の呼称で知られています。

レオナルドダヴィンチの「モナリザ」と並ぶ名画と称される、世界一有名な浮世絵。
葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

実際の絵は改めて、許可を取ってから載せますね。

90歳まで真の絵描きを目指し続けた画狂老人      

数々の名作を生み出した天才絵師・葛飾北斎。米LIFE誌のミレニアム特集号「この1000年で最も重要なできごとと人物・100選(The 100 Most Important Events and People of the Past, 1000 Year)」の中で唯一紹介された日本人でもあります。

死後150年を経て勝ち得たこうした世界的な評価も、北斎の不断の努力があればこそ。北斎はとにかく研究熱心な努力家。浮世絵の様式を習得するだけでは飽き足らず、さまざまな画派の技法を取り込み、中国や西洋の絵画も研究しました。

師の春章のもとを離れ、長年オーダー品と読本の挿絵を描いて生活してきた北斎が、錦絵(多色摺版画)というフィールドに再チャレンジし名作「富嶽三十六景」を発表したのは、なんと70歳を過ぎてから。そこには半世紀の画家人生の研鑽の成果が注ぎ込まれていました。

90歳の長寿を全うし、生涯現役。多くの弟子を抱え、人気絵師の名をほしいままにしながらも、本人は最期まで「あと5年、いや、あと10年生き長らえることができれば、真の絵描きになれたのに……」と現状に満足せず、常に高みを目指していたそうです。

そんな彼の雅号(絵師として活動するときの名前)のひとつが「画狂人(または画狂老人)」。神羅万象あらゆるものを描き、画道ひと筋、ひたすら邁進し続けた人生でした。

なぜ、こんなに凄い人の後に続く人が続々と出なかったのでしょうか?当時、良い悪いという基準がまだ、できていなかったので実際の評価までは時間がかかりましたね。

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